藤沢の歴史を感じられる場所のひとつ

「飯盛女」という言葉を聞いたことがありますか?
飯盛女とは、江戸時代に宿場の旅籠屋で給仕をしていた女性たちのこと。
当時東海道を利用する人ばかりではなく、江の島、大山詣の分岐点であった藤沢には、全盛期100人近い飯盛女がいたと言われています。
一般的に、飯盛女は貧しい農村出身の女性が多く、両親の借金の代償として半ば売られるように藤沢に連れてこられ、働かされていたのだそう。
永勝寺にある飯盛女の墓は39基、50名近くの名前が刻まれています。
全国的に粗末に扱われることが多かった飯盛女は、供養された者は少ないので、お墓があるのはとても珍しいことなのだとか。
お墓を建てて飯盛女を供養した人の優しさや人間味を時間を超えて感じることができますね。
飯盛女の墓がある永勝寺は藤沢本町駅から徒歩15分ほどの場所にあります。
このあたりは、藤沢宿があったあたり。かつて、飯盛女たちはどんな風景を見て、どんなことを思いながら生きていたのでしょうか。
藤沢の歴史に想いを馳せながら、そこに眠る魂に手を合わせてみては…。
永勝寺
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藤沢市本町4-4-15 0466-22-5395この記事は読者リポーターの投稿によるもののため、情報の正確性は保証されません。ご確認のうえご利用お願い致します。