産川の由来となった伝説
 
                                        
                                    
                                    
                                    目久尻川の近くに、産川という小さな川があります。
歩いていると見落としてしまいそうですが、こんなところにも伝説があります。
永亭の乱(1438年)、一色伊予守六郎の妻、護王姫が落ち延びた途中で産気付き、出産したとされる伝説から、産川と名付けられました。
その後、江戸時代に姫を供養するために石碑が建てられたとされています。
この産川の伝説は、海老名のかるたにもなっています。
諸説ありますが、地名や石碑から歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。                                
護王姫の石碑
海老名市上今泉6-20-11この記事は読者リポーターの投稿によるもののため、情報の正確性は保証されません。ご確認のうえご利用お願い致します。

 
                            

 
                                             
                                             
                                             
                                             
                                             
                                             
                                             
                                             
	 
	 
	 
	 
	 
	 
	
 
		
 
		
 
		
 
		
 
		
 
		