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古戦場の上に建つ、歴史ある「菅原神社」でお参りしよう

古戦場の上に建つ、歴史ある「菅原神社」でお参りしよう

出典:https://www.sugawarajinja.com/walk.html

町田駅から北へバスで10分ほどの本町田地区に、菅原神社があります。
室町期永享年間、本町田村の大沢左近正次が、大沢家の守り本尊だったと言われる天神像をこの地に奉安しました。
この天神像は、大沢の先祖が京都の北野天神に詣でた折に得たものです。
その後、江戸期初頭の寛永7年、子孫の大沢玄蕃が新たに渡唐の天神像を奉安し、本町田の鎮守としました。これが菅原神社の縁起です。

本能寺の変が起こった天正10年(1582)、本町田村から原町田村と大谷村が分かれ、それぞれの新たな村に鎮守として菅原道真公を祀ったのが、町田天満宮と天神社です。
菅原神社はこの二社とともに「町田三天神」と呼ばれ鎮守として親しまれています。

祭神の菅原道真公は幼少の頃より学業に励み、5歳で和歌を、11歳で漢詩を作るなど、優れた才能の持ち主でした。
学者出身の政治家として異例の出世を重ね、昌泰2年(899)右大臣に任命され、手腕を発揮します。
しかし、左大臣藤原氏の策謀により、昌泰4年(901)大宰府に左遷され、その後わずか2年で生涯の幕を閉じました。
道真公の清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、やがては天神さまと崇められるようになりました。
そんな菅原道真公を最初にお祀りした北野天満宮と、墓所として祀られた大宰府天満宮の2つのお社をルーツとして、全国に天神さまの信仰が広がっていったのです。


12世紀末、鎌倉に幕府が設置され鎌倉街道が整備されると、菅原神社が鎮座する井手の沢は、北関東から鎌倉へ通ずる街道の中でも重要な地点となりました。
府中方面から見ると丘陵地で起伏がありますが、ここを起点に鎌倉まで一気に下ることができるためです。
こうした土地の形状から、砦のような城が築かれていたとする研究もあります。

建武2年(1335)になると、北条時行が鎌倉幕府を再興しようと挙兵し、「中先代の乱」が起こりました。
このとき鎌倉を守っていた足利尊氏の弟、直義はこの地で北条時行の軍を迎え撃ちましたが、激しい戦いの末に敗れ、鎌倉を追われることになりました。
このことから、この地は「井手の沢古戦場」と呼ばれ、東京都指定の旧跡となっています。

出典:https://www.sugawarajinja.com/history.html

菅原神社では毎年、町田市観光コンベンション協会主催の「巫女体験」のイベントが行われています。
緋袴(ひばかま)と白足袋の巫女衣装に身を包み、宮司や禰宜から巫女の立ち歩き方・手水の作法・参拝の作法を教わります。
また、巫女神楽のビデオを鑑賞したり、神社の話を聞いたりして知識も深められます。
憧れの巫女衣装を体験できるだけではなく、神職の方のお話を聞いて、より神様や神社を深く知ることができるでしょう。

出典:https://www.facebook.com/machidaguide/posts/2179268602089109/

今回は「町田の三天神」の一つ、菅原神社をご紹介しました。
遠く室町時代から鎮守としてこの土地を守り続けてきた天神さま。
そこは都をかけて戦った武士たちの鎮魂の場でもありました。
歴史に思いを馳せながら、ぜひ観光してみてはいかがでしょうか。

楓さん(303)の記事

菅原神社

https://www.sugawarajinja.com/

東京都町田市本町田802番地 042-725-3991 【アクセス情報】
小田急線町田駅よりバス「鶴川駅行」「藤の台団地行」「本町田団地行」にて約10分「菅原神社前」下車

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