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1万年以上の歴史!縄文時代から続く「三之宮比々多神社」の魅力をご紹介

1万年以上の歴史!縄文時代から続く「三之宮比々多神社」の魅力をご紹介

杉の巨木に囲まれた三之宮比々多神社。
神奈川県伊勢原市三ノ宮に鎮座し、旧相模国最古級の神社でもあります。
木造の狛犬や日の丸紋のある布目古瓦など、歴史的に貴重な文化財が納められているほか、街を見渡せる眺望も魅力的なスポットです。
今回はそんな三之宮比々多神社の魅力をご紹介します。

その歴史は1万年以上!三之宮比々多神社の由緒をご紹介

三之宮比々多神社の魅力をお伝えする前に、まずはアクセス方法をおさらいしておきましょう。
小田急小田原線・伊勢原駅または鶴巻温泉駅で下車後、神奈川中央交通バスに乗ります。
伊勢原駅からは北口1番線に発着する[伊41]殿村・石倉橋経由伊勢原車庫行、または[伊59] 鶴巻温泉駅行に乗車し「比々多神社」下車(約15分)すぐ、または北口4番線に発着する [伊41]殿村・石倉橋経由伊勢原車庫行に乗車し「三の宮」で下車します(約12分)。
鶴巻温泉駅からは、2番線に発着する[伊59] 伊勢原駅北口行に乗車し「神戸」で下車してすぐの場所となっています。

比々多神社の歴史は大変に古く、付近や境内地から出土する遺跡遺物には1万年近く昔の縄文時代にさかのぼるものがあります。
縄文時代中期の環状配石の立石は、原始的な信仰の存在を示していると考えられています。

1834(天保5)年編纂の社伝記によると、神社としての鎮座は神武天皇6(紀元前655)年のこと。
古くからの信仰と祭祀の地に社を建立し、大山を神体山としてとして豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)を祭神として祀ることが神社としての始まりであったといいます。
また、時代は下って鎌倉時代に成立した歴史書「吾妻鏡」には、この神社の名前が登場します。
吾妻鏡によれば、源頼朝が妻政子の実朝出産に際して安産を祈念して、相模国の社寺に神馬を奉納した中に比々多神社の名前があるようです。
その後、室町時代に戦禍によって社領や社殿を失った時期もありましが、江戸時代初期に再建され、今日に至っています。
主たる祭神としては、豊斟渟尊・天明玉命・稚日女尊・日本武尊を祀るほか、配神として大酒解神・小酒解神を祀っています。
このうち、大酒解神は酒造の神様として酒造家の信仰を集めているのは大きな特徴でもあります。

神奈川県無形民俗文化財「国府祭(こうのまち)」とは?
「国府祭(こうのまち)」は毎年5月5日にとりおこなわれる祭礼で、旧相模国西部の有力な6つの神社、すなわち一之宮・寒川神社、二之宮・川勾神社、三之宮・比々多神社、四之宮・前鳥神社、一国一社・平塚八幡宮、総社・六所神社が大磯の斎場に参集してとりおこなわれる神事です。
この祭礼の起源は、平安時代にさかのぼるといいます。
律令制下では国司は任国に着任すると、その国の重要な神社を巡拝する制度がありました。
しかし、この巡拝には多くの人手と費用、日数を要することから、国府の近くに各社の神霊を分祀した神社(総社)を建立して祀るようになったのです。
国府祭は、斎場に各社の神様および総社の神霊を招いて、供え物を捧げ、国家安泰・五穀豊穣を祈念します。
こうした祭礼はかつては、旧令制国の全てにあったはずですが、今日では旧相模国の「国府祭」と旧武蔵野国の「くらやみ祭」(大國魂神社、東京都府中市)の2社にしか残っていないという意味で貴重な祭礼といえるでしょう。

境内には縄文時代の史跡も!
三之宮比々多神社は、古代の原始的な信仰や祭祀の聖地に鎮座していると考えられており、そのことを示す「下谷戸縄文遺跡環状列石及住居跡」(伊勢原市指定史跡)が境内にあります。
その他にも神社の周辺には縄文時代や古墳時代の遺跡が多数あることが知られています。
伝来の社宝や周辺の遺跡から出土した考古資料の散逸を防ぎ、収集保存と公開を目的として、1953(昭和28)年に宝物殿として設立されました。
収蔵品として各種社宝や、市内の古墳出土品や境内出土の各時代の遺物があるほか、市内出土の遺跡を本殿裏手に移設復元した屋外展示もあります。
市内に地域の文化財や郷土史を主題とする博物館が存在しないため、市域を代表する郷土博物館としても重要な役割を果たしているのです。
文化的な休日を過ごしたい方は、ぜひお出かけしてみてはいかがでしょうか?

楓さん(303)の記事

三之宮比々多神社

https://hibita.jp/

伊勢原市三ノ宮1472番地 0463-95-3237

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