開設から75年、慈恵医大第三病院が生まれ変わります
私は今、慈恵医大第三病院に入院しています。
狛江駅からバスで10分、地元に大きな総合病院があることのありがたさを実感しています。
ここはもともと東京重機(現JUKI)の本社と工場のあった場所で、銃器を製造していました。
軍事工場だったことから、戦後1945年から48年までアメリカ軍の管理下に置かれて、医大隊が衛生材料の補給施設として利用していたそうです。
その後、慈恵医大が東京重機から土地を購入し、医大隊が利用していた施設部分を利用して1950年に東京慈恵会第三病院(当時)が開設されました。
開設当初は国民健康保険制度がまだなかった時代。狛江村役場が「診療券」を発行し、慈恵会第三病院に診療券を提示すると診療費が安くなる制度があったそうです。地元に大きな病院があることは現在の狛江市民にとってとてもありがたいですが、開設当初の狛江村民に今以上に喜ばれていただろうと想像します。
そんな慈恵医大第三病院ですが、来年2026年1月には全面リニューアルして「東京慈恵会医科大学西部医療センター」として生まれ変わることになっています。
今から来年が楽しみです。
「慈恵第三病院」は長年慣れ親しんだ名前ですが、来年2026年1月には名称が変わるのでこの看板も入れ替えになることでしょう。
慈恵医大創設者の高木先生は、明治時代に麦ご飯とカレーで脚気対策を行った海軍の軍医でした。よこはま海軍カレーのルーツとも言われています。
高木先生の偉業にちなんで、今でも毎日麦ご飯が病院食に出ます。
また、狛江産の野菜が使われたり、季節にちなんだメニューが出たりします。
ここは、医師の丁寧な治療と説明から、看護師さんのやさしい笑顔、病院食のメニューに対する心配りに至るまであたたかい病院です。
狛江に住んでいてよかった、と思えることの大きなひとつです。
来年2026年にリニューアルした後の施設や様子について、また投稿させてもらいます。
東京慈恵会 医科大学附属第三病院
https://www.jikei.ac.jp/hospital/daisan/
狛江市和泉本町4丁目11番1号 03-3480-1151この記事は読者リポーターの投稿によるもののため、情報の正確性は保証されません。ご確認のうえご利用お願い致します。






