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江戸氏の眠る喜多見の慶元寺

江戸氏の眠る喜多見の慶元寺
地域風景資産の三重塔、桜の季節はさらに魅力的

慶元寺は浄土宗、京都知恩院の末寺、本尊は阿弥陀如来坐像で、現本堂は1716年に再建され、現存する世田谷区内では最古の建造物とのことです。江戸太郎重長により、現皇居の紅葉山に天台宗の東福寺として1186年創建されました。その後、室町時代中頃に太田道灌に江戸城を明け渡し、喜多見(当時木田見)にお寺と共に移転したとのことです。1540年に浄土宗に改宗、慶元寺に改称しました。その後、1593年に江戸氏は喜多見氏と改め、初代喜多見勝忠が再建、1636年には三代将軍徳川家光から寺禄10万石の御朱印状を賜ったと記されています。また、参道脇には江戸太郎重長像が鎮座しています。なお、東京では新暦採用のため7月にお盆があり、その時には隣にある幼稚園生が盆踊りを踊っています。
墓地には江戸氏と喜多見氏の墓地、それを囲むように家臣のお墓があり、また、1993年には三重塔も建立されました。江戸氏は桓武平氏の秩父氏の流れをくみ、喜多見氏に改姓後、喜多見藩が立藩され、お寺の近くに城ではなく陣屋を構えたとのことです。しかし、その後、分家筋の刃傷沙汰で改易、廃藩になったとのことです。

参道脇の江戸太郎重長像

木々の茂った参道脇には江戸太郎重長像が鎮座しています。

1716年に再建された本堂

現本堂は1716年に再建されたもので、現存する世田谷区内では最古の建造物とのことです。

江戸氏と喜多見氏のお墓

江戸氏、喜多見氏とその家臣たちが眠っています。

1759年建立の山門

1759年に建立された山門で、喜多見陣屋の門であったとも伝えられています。

しろしろさん(18)の記事

慶元寺

東京都世田谷区喜多見4-17-1

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