道灌さんに同感!?の大庭城

小田急線が開通する遥か昔の関東って、庶民の暮らしとか、交通という点ではどうだったかとても気になるところであるけれど、「大庭城」も具体的に城内の記録もなく、詳細に書かれた書物とか浮世絵的な作品もあまり目にした事がない。太田道灌さんの生涯を見ようとした時も同じで品川湊のあたりで生を受けて、扇谷上杉家の宰相とも言うべき太田氏の跡取りとして、戦国時代の風が吹いてきた室町時代に生きる青年が、少年時代をどう過ごして、どうしても避けては通れなかった。
関東管領同士の権力争いである「享徳の乱」「長享の乱」を経て室町時代にはひとつの上杉家が分裂し、鎌倉幕府の遺志を担った鎌倉府が復活し、「公方職」の面々とも対立の構図になった。
そんな嫉妬や腹の探り合いの状況で、道灌氏が芸能や文化的な才能に目覚めると言うこと自体が不思議だし、ましてや江戸城の開祖だなんて、それこそ影武者の存在とかどんな生涯だったのか興味は深まるばかりなのである。

大庭城
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