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「武相荘」で暮らした白洲夫妻とは(前編)-連載2

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東京都町田市にある「旧白洲邸 武相荘(ぶあいそう)」は、自然豊かな散策路と茅葺屋根の家がある施設です。公開から約25年、多くの人に愛されています。今回の記事では、前回少しだけお話しした白洲夫妻についてお届けします。

激動の時代に活躍

激動の時代に活躍
白洲次郎氏(1902~1985)と白洲正子氏(1910~1998)は戦前から戦後の激動の時代を生きていました。次郎氏は政治やビジネス、正子氏は随筆家として活躍しました。

次郎氏はイギリスに留学経験があり、戦後には吉田茂元総理大臣とともにGHQとの折衝に尽力しました。政治家ではなく、いくつもの会社経営に携わった人です。

正子氏は裕福な家庭で育ち、幼い頃から「源氏物語」「枕草子」など日本の古典文学に親しんできました。そして能も習っていたことから、「本物の美」を追求する姿勢があったとのこと。彼女の作品である「能面」「かくれ里」はもちろん、「武相荘」でもその生き方を感じることができます。

館長に聞くー夫妻についてー

今回は館長であり夫妻の娘婿である牧山圭男さんにお話を聞きました。

牧山圭男さん
▲牧山圭男さん
ーー白洲夫妻は「武相荘」でどのような暮らしをしていましたか。

養蚕農家の家を改装し、ある程度自給自足の生活をしていたようです。お米を育てたり、林のタケノコなどを採っていました。都心から離れた自然で暮らすというのが夫妻の夢だったので、それを実現していたんですね。

この家は白洲夫妻の仲間たちにとっての「サロン」でもありました。戦争中には近衛文麿夫妻たちもこっそり訪れていたそうです。ここは人目を避けてじっくり話ができる場所でした。

白洲夫妻は日本の文化をすごく大切にしていました。この文化は春夏秋冬の変化が生んだものだと言っていたので、こうして自然と共存する暮らしを楽しんでいたようです。

ーー「武相荘」は白洲夫妻の生き方を感じる場所でもありますね。

はい。ここは「この自然と茅葺屋根の家を後世にも残したい」という思いで公開していて、今では白洲夫妻を知らない世代の方々にもそれが伝わっています。

次郎が大切にしていた価値観は「筋を通す」こと。次郎は「プリンシプル(原理原則を守る)」という言葉をよく使っていましたが、私利私欲に走らない、弱者に優しい、ユーモアがある、身だしなみに気を配ることを重要視していました。イギリスで学んだ「紳士(ジェントルマン)」を体現していたように感じます。

ミュージアムとして公開している家には、正子が目利きした食器や、自分の感性で着こなした服などをたくさん展示しています。「武相荘」では日本の歴史ある文化を尊重しつつ、当時のライフスタイルに合わせて変化させた部分も感じていただけると思います。

◆白洲次郎氏について
https://buaiso.com/about_buaiso/jiro.html

◆白洲正子氏について
https://buaiso.com/about_buaiso/masako.html

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旧白洲邸 武相荘

https://buaiso.com/

町田市能ヶ谷7丁目3番2号 042-735-5732 ■ 駅から徒歩
・小田急小田原線 鶴川駅 北口下車、徒歩15分
■ バス 鶴川駅より(小田急バスまたは神奈川中央交通)
・5番のりば26系統バスにて
「平和台入口(旧白洲邸 武相荘)」下車、徒歩5分
・3番のりば13系統バスにて
「平和台入口(旧白洲邸 武相荘)」下車、徒歩5分
・3番のりば11系統バスにて
「鶴川一丁目」下車、徒歩5分

この記事は読者リポーターの投稿によるもののため、情報の正確性は保証されません。ご確認のうえご利用お願い致します。

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