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世田谷の悲劇がわかる1本の木 ぽつんと残る風景

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春らしい風景に包まれる小田急線沿線で、梅の花に寄り添われる1本の高野槇の元を訪れました。
今から15年前、東日本大震災でたった1本流されなかった「奇跡の1本松」は歴史の証人として多くの人が訪れる場所となっています。世田谷区の小田急線・世田谷代田駅を最寄駅とする場所にも、同じく歴史の証人として1本だけが残された木があります。

駅から徒歩数分の距離に位置している円乗院(世田谷区若林)の敷地は、手入れの行き届いた植木や小さな庭園が広がっています。庭園内には鯉が泳ぐ池があり、訪れる人々に静かなひとときを提供しています。しかし、この静けさの中で異彩を放つ存在があります。それは、門を入った先に立つ1本の高野槇(コウヤマキ)です。周囲の整然とした景観と対照的な奇怪な姿を見せています。

この木は、世田谷区が「戦争史跡」として保存しているものです。1945年5月25日、山の手地区を襲った大空襲で大量の焼夷弾が投下され、この地域は焼け野原となりました。その焼け跡に残ったのがこの高野槇です。

本来の高野槇は、緑の葉が美しい円錐形を形成します。しかし、この木は葉を取り戻すことなく、燃え尽きた痛々しい太い幹だけの姿を現在も留めています。この姿は、かつてこの場所が火の海と化した戦争の悲惨さを物語る証拠でもあります。
これほど激しい戦争史跡を目の前にしても、円乗院の周辺は閑静な住宅街が広がり、戦火の事実を信じることができないほど穏やかな昼下がりでした。

寄り添うように梅の花が咲いていました。

例えば、海外で起きている戦争の報道では、夜空に落とされるミサイルの映像は、まるで3Dゲーム画面のように映ります。しかし、爆弾を落とされた場所で何が起きたのかを「戦争史跡・高野槙」が自らの姿で伝えています。この史跡は、戦争の現実を肌で感じられる場所として非常に貴重です。

円乗院の「高野槙」の存在は、平和の価値を再確認する場として、今後も多くの人々に伝えられていくこと願います。

箸々(54)の記事

戦争史跡 コウヤマキ

世田谷区代田2丁目17-3(円乗院)

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