太古のロマンに触れる!「史跡勝坂遺跡公園」と「勝坂式土器」の魅力
日常の喧騒を離れ、約5000年前の「縄文時代」にタイムスリップしてみませんか?
今回ご紹介するのは、相模原市南区磯部にある国指定史跡「史跡勝坂遺跡公園」です。
この公園は、起伏に富んだ自然地形や緑豊かな段丘崖、湧き出る泉など、縄文人が長く暮らした当時の豊かな自然環境が今も残る場所に位置しています。2009年度(平成21年度)に「大自然の中の縄文時代」を体感できるよう整備されました。
そしてここは、縄文時代中期(約5,000年前)の大集落跡であり、日本の考古学史上極めて重要な役割を果たしてきた場所なのです。
勝坂遺跡は、1926年に大山柏氏が発見した縄文時代中期前半の重要な遺跡です。この遺跡から出土した、立体的な装飾や動物・人物の顔を模した顔面把手が特徴の土器群は「勝坂式土器」と名付けられました。
勝坂式土器は、関東・中部地方の同時代の時間的目安(編年)を知る上で決定的な役割を担う標式土器の一つとされています。
縄文時代中期終末期の敷石住居跡
公園は細長く広がっています。春から夏にかけては公園の木々の緑が鮮やかで、お散歩にも最適です。
広場にはテーブルやベンチがあり、家族連れでお弁当を持参するにもいいスポットです。
竪穴式住居は奥の方にあり、しばらく歩きます。入り口から向かう途中に「敷石住居跡」があります。

この敷石住居跡は、現在復元されている竪穴式住居よりも約500年後、縄文時代中期終末期の住居跡が再現されています。当時の縄文人は、生活の場である床に石を敷き詰めていたと考えられています。
予備知識がなければ、単なる石の集積に映るかもしれません。しかし、これらは数百年前に人々が確かに生活していた歴史の痕跡なのです。
学校で縄文時代について学んだことはあっても、文字や写真だけでは十分な実感が得にくいですよね。もし学生時代にこのような実物を見学する機会があれば、より深く意欲的に学べたのではないでしょうか。
縄文時代の自然と暮らしを体感

公園内では、縄文集落の雰囲気を再現するため、竪穴式住居が笹葺き式と土葺き式の二種類、復元されています。実際に目の前にすると、その迫力に圧倒され、あたかも縄文時代に遡ったかのような感覚を覚えます。
このうち、笹葺き式の住居は内部の見学が可能です。中には当時の生活の様子が再現されていますが、薄暗いので足元にご注意ください。

竪穴式住居とは、地面を掘り下げて床を作り、周囲に柱を立てて屋根を葺いた建物のことです。この周辺には、かつて50から60もの集落が存在していたと考えられています。何千年も前の人々の生活の痕跡が今に残されているのは実に神秘的です。
また、公園内には、竪穴式住居の廃絶後に生じた窪地や、集落終末期に見られる敷石住居の模造品も屋外に展示されており、縄文人の生活の様子を間近に知ることができます。さらに、管理棟では、勝坂遺跡の出土品や関連パネルの展示が行われています。
旧中村住宅を巡って

史跡勝坂遺跡公園から歩いて5分ほどの場所に「旧中村住宅」があります。太古のロマンを感じる遺跡と合わせて、この地域に伝わる近現代の歴史を感じることができます。
この建物は、幕末期に建てられた和洋折衷の住宅です。建物の特徴として、一階は整然とした四間取りで西側に式台玄関を備え、外観は和風の要素で統一されています。
一方、二階は洋風の意匠が取り入れられており、外壁には海鼠壁(なまこかべ)が用いられ、軒は曲線的な白漆喰で塗り込められています。また、正面には縦長の窓が配置されている点も特徴的です。
(旧中村住宅は令和8年3月19日まで修繕中の予定です)
歴史の重要な転換点となった勝坂遺跡は、私たちに縄文人の力強い創造力と、自然と共生した豊かな暮らしの知恵を伝えてくれます。
縄文ロマンと地域の歴史文化を同時に感じられる「史跡勝坂遺跡公園」へ、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
史跡勝坂遺跡公園
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kurashi/shisetsu/kouen_kankou/kouen_ryokuchi/1003090.html
相模原市南区磯部1780ほか(管理棟は磯部1822) 042-769-8371(文化財保護課) 営業時間:入園自由※管理棟の利用、竪穴住居内の見学は、水曜日~日曜日の午前9時~午後4時
(月曜日、火曜日が祝日等の場合は開放)
この記事は読者リポーターの投稿によるもののため、情報の正確性は保証されません。ご確認のうえご利用お願い致します。






